ニュース(レポート)
パーソルクロステクノロジーに関するニュースについて紹介します。
一緒に考える、これからの“My”キャリア
小川 理子さんが社員向けイベントに登場
2021.05.19
レポート
パーソルテクノロジースタッフでは、多様な人材が”はたらく”を通じて自己実現できるよう様々な取り組みを行っています。
その一環として女性エンジニアとしてキャリアをスタートしながらパナソニック株式会社テクニクスブランド事業担当参与を務める一方ジャズピアニストとしての顔を持つ小川 理子さんを招いて、4月某日、パーソルグループ社員を対象とした対談イベント「一緒に考える、これからの“My”キャリア」を開催。小川さんはパーソルAVCテクノロジー株式会社の取締役をされていることからご縁があり、今回のイベントにご登壇いただきました 。
小川 理子(おがわ みちこ)
パナソニック株式会社 テクニクスブランド事業担当参与、関西渉外・万博担当参与
(アプライアンス社 副社長 2017年4月~2021年3月末)
慶應義塾大学理工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)株式会社に入社。 音響研究所にて音響機器の企画、研究開発、商品化などを担当。 2014年 テクニクス事業推進室長に就任、高級オーディオブランドのテクニクス復活を総指揮。 2015年 役員に就任。アプライアンス社 常務、技術担当、デザイン担当、新規事業開発担当。 2017年 アプライアンス社 副社長に就任 2018年 大阪関西万博誘致の最終プレゼンテーションを担当。 2021年 テクニクスブランド事業担当参与、関西渉外・万博担当参与 その他、日本オーディオ協会 会長、マツダ株式会社 社外取締役を務める。 ジャズピアニストとしての顔も持ち、5回にわたり、関西フィルハーモニー管弦楽団と共演。
悔しさから仕事と音楽の両立を決意し「自分らしさ」探しへ
―小川さんは最初のキャリアをオーディオエンジニアとしてスタートされました。どうしてエンジニアになったのですか?
小川理子(以下、小川):大学時代は理工学部で生体電子工学の研究室に所属していました。人間と自然と音楽が好きなので「人間が音を聞いた時、心理的にどういう風に感じるのか」という音質に関しての研究をエンジニアリングの観点から行っていました。「社会人になっても音響を研究したい」と思い、今のパナソニックを受けました。周囲の先輩から「これからはオーディオの時代じゃないよ」と言われてしまったんですけど、私はどうしても音響がやりたかったので初志貫徹で。採用面接で「音響をやりたいです」とアピールしたら、幸いにも音響研究所に配属してもらうことができました。
私が社会人になったのは1986年、男女雇用機会均等法元年です。しかしまだまだ女子社員は朝早く出社して、みんなのデスクを掃除して、お茶を入れて…そういうことを当たり前にやっている時代でした。私も、朝8時始業にもかかわらず6時半には出社して掃除をして…、それで時間が余ったらスタジオの音響設備を使って自分の耳を鍛えていました。音は感性の塊なので、「論理上の数値が良くても音が良くない」ということがあると考えています。音が良くなければ、聴く人の心は震わせられませんが、当時それに賛同してくれる人はおらず、「工業製品だから数字で出すことが大事だ」と言われていました。でも私はあきらめずに耳で音質評価することも必要だと思い、音に対する感度というか、音響的な聞き方を身に付ける訓練をしていました。 パナソニックのブランドスローガンにふくまれる「世界文化の進展」という考えにも賛同し、「音の世界で文化を作りたい」という青臭い志を持って7年ほどは楽しく没頭していました。
―ジャズピアニストとしても活躍されており、順風満帆なキャリアのように見えますが、挫折や苦労をご経験されたこともありましたか?
小川:いえいえ、挫折の連続で、どろどろのキャリアですよ。最初の転機になったのは30歳の頃です。バブルが崩壊して、所属していた研究所も、取り組んでいたプロジェクトも解散になってしまいました。年齢的に「結婚しなきゃ」という焦りもあり、会社を辞めようかなと思うほど落ち込んでいました。
正木慎二(以下、正木):仕事を継続するか、辞めて家庭に入るかで悩んだのですか?
小川:両立できるのが一番良いのでしょうけど、当時の製造業は男性優位社会。今でこそ多様性の尊重が当たり前になっていますが、当時は上司との面談で「あなたは結婚しますか? 出産しますか?」なんて普通に聞かれるような時代でしたから。
正木:決断できるまではどれくらいの期間悩んでいたのですか?
小川:半年くらいはモヤモヤしていたと思います。「本当にここで辞めてしまっていいのだろうか」と悩んでいた時、気分転換にゴールデンウィークの休暇を利用してニューヨークへ旅行しました。友人と会ったり、夜はライブに行って音楽を聴いたりしているうちに、「自分は何て小さいことで悩んでいるのだろう」と思ったのです。今のプロジェクトは終わったけれど、これからハイレゾリューション技術やインターネットを通じたコンテンツ配信が進む中で、まだまだ自分にもやれることがあるはず。ここで諦めるわけにはいかないと気持ちの整理がつきました。
離れていた音楽をやることになったのもこの頃です。ニューオリンズジャズのドラマーとしても活躍していた上司が落ち込んでいた私を励ますために誘ってくれたのをきっかけにジャズを始めました。しかしある時、就職活動でお世話になったリクルーターの方から「君がやっていることは、仕事も音楽も中途半端だね」と言われてしまいました。それで腹が立ってしまって。「別に私のせいで組織がなくなったわけではないし、私だって20代の青春を捧げたのに!」って。(笑)それで、もうそんなことを言わせないように仕事も音楽も100%で両立させようと決意しました。
いろんな人に相談もしました。先輩たちから「会社だから組織や仕事がなくなることはある。小川さんらしい生き方をしたらいいんじゃない?」というアドバイスをもらい、私らしい生き方を探すために、まずは仕事と音楽を一生懸命やることにしました。
―若いころから自分の個性を確立したいと思っていらっしゃいましたか?
小川:意識はしていませんでした。でも、母が我が道を行くタイプの人で「人と違っていたほうがいい」という考えのもとで育ったので、影響は受けていたかもしれませんね。それに音響研究所時代、研究所のコンセプトを考えることになった時に「世界にないユニークなものを作るのが研究者の醍醐味だ」という話はよくしていたので、個性が重要だというのはどこかで感じていたと思います。
でも当時は没個性の時代。ジャズに誘ってくれた上司も世界的な演奏家でしたが、それを隠して会社で働いていたくらい、1980年代は個性を主張しにくい時代でした。
―正木さんご自身は自分の個性は早いうちから自覚していましたか?
正木:私は子供のころから「政治家になりたい」と思っていたので、「志」や「人と違う」ということについては意識することが多かったですね。優秀な友達に恵まれたので勉強では彼らには敵わなかったから、「勉強以外で自分らしさを出すためには?」「一目置いてもらうためには?」ということを、歴史の本を読んだり、人と話したりする中で考えていました。
音響の仕事を続けられなくなった後、目の前の役割を一つ一つ果たし「自分らしさ」に気付く。
―仕事も音楽も両方を全力でやると決めてからも挫折の連続だったとお伺いしました。
小川:はい。その後、ハイレゾと圧縮音声の研究をやりましたが、時代はオーディオよりも映像、デジタルネットワークへとシフトしていき、オーディオ事業はどんどん縮小し、私はまたオーディオの仕事を続けられなくなってしまいました。
仕事がなくなってしまって、やることがなかった時、「ネットワーク事業でマネージャーをやらないか」と先輩から誘ってもらいました。全く新しいことへの挑戦に思いましたが、先輩からは「映像・音響のコンテンツを提供するには通信技術だけではなく、小川さんのようにコンテンツを理解できる人が必要だ」と言ってもらえたので、長年音響をやってきた自分の個性が生かせそうだなと思いました。
―男性中心文化が今以上に強い時代に、マネジメント職を選んだことでのご苦労などはありましたか?
小川:自分で「管理職の道を選ぶ/選ばない」という意識はありませんでした。ずっとエンジニアとしてオーディオの世界を探究し、「世界の文化を進展させるのに自分の得意な分野で貢献したい」とは思っていたけれど、キャリアパス面談で「あなたの10年後を描いてください」と言われても考えるのは難しかったですね。先のことは意識せずに目の前の役割を一つ一つ、一生懸命に果たしてきただけなんです。
ネットワーク事業は面白かったのですが思うような利益が出ず、数年後、私はまた行くところがなくなってしまいました。そんな時、本社のCSR部門への辞令が下りました。海外から新しい概念のように日本にCSRが入ってきたばかりの頃で、私自身も「社会貢献って何?」というようなレベル。それでもCSR部門でグローバル規模でのゼネラルマネージャーを担当することになり、これまでとは比べ物にならない重責を経験しました。誰からも教えてもらうことはできず、先輩方からも「正解も方程式もないから、小川流でやれ」と言われていたので、まずは経営理念やパナソニック創業者である松下幸之助の思想・経営哲学などを学び、その中で松下幸之助の「個性を磨く」という言葉に出会いました。
CSR活動を通して、世界と企業、深い関わり合いを知るうちに、今まで目の前のことを一生懸命やってきたことで結果的に自分の個性が磨かれ、バックボーンになっているのを感じましたね。
正木:創業者の言葉に影響を受けていらっしゃるんですね。私も手帳に松下幸之助さんの「道」という詩を貼っているのですが、挫折しそうな時など励まされました。詩の通りに「隣の芝生が青く見えても自分で選んだ道。自分であくせくやっていけば必ず光が見えてくる」という気持ちでやってきました。
「自分らしさ」と「あるべき」を両立するために、自分の強みを自覚する。
―自分らしさと、家族や組織から求められるあるべき姿との葛藤はありましたか?
小川:自分らしさとあるべき姿は二律背反ではなく共存できると思います。私がやってきた音楽と会社の仕事は、まさに「らしさ」と「あるべき」でしたから。
ただ、両立するためには、自分の強みを知り磨かなければならないと思います。強みでもない、得意でもないことを嫌々やっているのでは、自分らしくないし、周りから見てもいいリーダーには見えませんよね。
今、これだけ「多様性」と言われる時代に大事なのは、他の人から「何で覚えられるか」ということだと思っています。
私にとっては音響が30年間磨き続けてきた強みでもあり武器でもあり個性です。周囲からも「“音”の小川」と覚えてもらえて、さまざまな機会に恵まれて来ました。その結果、全く異なる3つのキャリアを通して、点でやってきた経験が繋がって線になり、面にしていくことで強みがさらに磨かれてきたと思います。
―正木さんの強みはどんなことですか?
正木:派遣のビジネスだったら絶対負けないと言えますね。もともと営業に自信があって「営業なら負けない」と思っていたので、営業から異動を命じられたときは「どうして外されたんだろう」と思ったけれど、その後、システム部門や間接部門など、いろいろ経験させてもらったから、今は営業だけじゃなくて「派遣もできる」と言えるようになったんですよね。
オーディオ事業の復活に際して、責任者としてアサイン。
諦めずにやっていくことの重要さ。
小川:全然違う3つのキャリアを経験し、オーディオブランドのTechnics(テクニクス)を復活することになった時、事業責任者としてアサインされました。今まで経験してきたことがすべて繋がったようで、とても不思議でした。
さらに復活に際して、会社から「機能重視から感性重視へフォーカスする」という事業方針が発表されました。私が新入社員の頃から言っていた数値では判断できない音質の価値を30年経ってようやく認められる時が来たと感じました。これから世界からリスペクトされるような製品を作ろうとしたら、技術だけでは語りようがない日本ならではのきめの細やかさまでこだわらなければならないと思っています。
―小川さんにとっての「音」のように、強みが明確になっていない人はどうやって見つければよいのでしょうか。
小川:好奇心を持ってアンテナを高くするということだと思います。「会社と家の往復で毎日しんどい」ということだけじゃなくて、遊び心も含めて多様な経験をすると、何かを考える時にも目的意識を持って気付けるようになります。その状態で与えられた役割を100%の力でやると必ず何かが見えてくるはず。まずは目の前のことに没頭してやり抜けなければ、さっきの「道」じゃないですけど、隣の芝生が青く見えてしまうんですよね。
正木:パーソル創業者の篠原欣子さんからも、同じようなことを聞いたことがあります。「まずは、今目の前にある仕事で『誰にも負けない』と言えるようになりなさい」と。もしそれが単純なルーチンワークだったとしても、自分なりに工夫を重ねることで、自分にしかできない仕事になるはず。飛び込み営業でも量だけは負けないようにしようとか、小さな一部分だけでも負けないことを作ると自分の得意なことが見えてきますよね。
小川:そうですね。そうすれば、そういう風に頑張っている姿を周りの誰かが見てくれて、次のチャンスにも繋がってきますしね。
―お二人にとっての「音」や「営業」などの技術的に突出した何かではなく、こういうことも自分らしさかなと思うことはありますか?
小川:私の場合は常にポジティブなんです。落ち込むことも、くじけることもあるけど「こんなことでくよくよしても仕方ない。何とかできる」と、どんなことでも切り替えられる。それも私らしさです。
正木:私も新卒で全く売れない営業だった時から、「調子はどうだ?」と聞かれたら、どんなに調子が悪くても「絶好調です!」と言うと決めていました。
小川:それは素晴らしいですね。若手時代、上司から「世の中のエンジニアには2種類ある。難題を吹っ掛けた時、何も考えずに『簡単です』って言ってから考えるタイプと、最初から『できません』っていうタイプがいる。お前は前者になれ」と言われました。
女性エンジニアが活躍できる環境・チャンスを作るために
正木:現在、パーソルでも女性の活躍推進に様々な取り組みを行っています。エンジニア部門においては男性が多いですが、優秀な女性エンジニアが大勢いるので、女性エンジニアから選ばれる会社になれるよう、さまざまな施策に取り組んでいるところです。
小川:今、進んでいるリモートワークもチャンスですよね。これを機に女性の働き方をブレイクスルーしていけると、男性優位だったものづくりの現場も変わってくると思います。
正木:ものづくり系はIT系と比べるとリモートワークが進んでいない傾向にあります。「リモートワークは絶対できない」という会社でも、一つ一つ紐解いていくと「じゃあ、試してみようか」と言っていただけることも少なくありません。
―経営者の観点からリモートワークに向けた取り組みを推進する一方で、個人側も変わったほうがいいと思うことはありますか?
小川:女性の中には「子育てと両立できないのではないか」、男性の中には「こんな仕事を女性に任せてはいけない」というような、それぞれのアンコンシャスバイアスがあると思いますが、そういうことを抜きにして肩の力を抜いて自然体で挑戦してみたらいいと思います。特にエンジニアの方は皆さん真面目なので、「100%完璧にこなさなければ」と思っている人が多いでしょうけれど、100%できる人なんてまずいません。得意なことをやって、自分にできないことはチームの人に補完してもらえばいいですから。
正木:先日、当社の女性マネージャーと話していた時に「自分の境遇と同じようなロールモデルがいない」という話を聞きました。エンジニア領域は男性が多いので確かに女性のロールモデルは近くにいないかもしれませんが、アンテナを立てると言うか、自分が見えている範囲から少し背伸びして遠くを見てみてほしいなと思いますね。小川様のように活躍されている女性が大勢いますから。
IT系や製造業など、長年男性中心のイメージが強い業界・業種においても、固定概念や性別に捕らわれずに、活躍していただけるよう、パーソルテクノロジースタッフでは今後も様々な取り組みを行ってまいります。
この記事をシェアする