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レポート
世界一過酷な挑戦の裏側で。
「走る実験室」に、私たちは何を懸けるのか

~日野チームスガワラとパーソルクロステクノロジーのエンジニアの物語~

(インタビュー日:2025年6月)

 「世界で最も過酷なモータースポーツ」と称される、ダカール・ラリー。見渡す限り延々と続く砂漠、鋭利で巨大な岩が転がるガレ場。サウジアラビアを舞台に地球上のあらゆる過酷な環境を凝縮したような道を、約2週間かけて8,000km近く走り抜く鉄人レースです。その極限の舞台に、日本のトラックメーカーとして唯一挑戦を続けているのが「日野チームスガワラ」。私たちパーソルクロステクノロジーは、その挑戦を支えるスポンサーであり、技術パートナーでもあります。

 これは、チームの壮絶な戦いの記録であると同時に、その挑戦に技術パートナーとして関わった一人のエンジニアの物語です。彼が直面した開発の現場、そしてチームを率いる菅原 照仁選手の言葉から、この挑戦の真髄に迫ります。

新卒2年目のエンジニアに託された、あまりにも重い責任

パーソルクロステクノロジー 技術開発統括本部 坂牧 直哉

「世界で一番過酷なレース。とても光栄だなと思いました」

 それがパーソルクロステクノロジーのエンジニア、坂牧がダカール・ラリーのプロジェクトに参加する話を聞いた時の率直な気持ちでした。しかし、それと同時に大きなプレッシャーも感じていました。なぜなら、彼自身「正直、ダカール・ラリーのことはそんなに分かっていませんでした。話を聞いてから、実際の車両を見に行ったりして学びました」という、全くの未知の世界への挑戦だったからです。モータースポーツへの関心も、それまではほとんどありませんでした。

 普段は北米向けトラックの吸気系・冷却系の開発を担当する彼に与えられたミッションは、レース車両の心臓部に関わる、ある重要な部品を開発すること。毎年、坂牧の所属するグループから誰かがこのプロジェクトに参加するのが慣例となっており、その白羽の矢が立ったのです。しかし、彼がその大役を任されたのは、2022年で、それは新卒2年目の年でした。彼が背負うのは、単なる部品一つの重さではありません。それは、30年以上にわたってチームが紡いできた歴史の重みであり、数十人のチームスタッフとその家族の生活、そして「世界のHINO」という看板を背負って戦うことへの責任です。たった一つの部品の不具合が、チーム全員の1年間の努力を水泡に帰す可能性がある。そのプレッシャーは、あまりにも重いものでした。

「図面がすべてではない...」― 3Dデータが通用しない、開発の現場

 それまで坂牧の職務であった市販車開発と新たな挑戦となるレース車両開発は、似て非なる世界。そこには、想像を絶する困難が待ち受けていました。

「部品の開発には時間を要しました。市販車なら3Dデータ通りに物が載るのですが、レース車両は全く違います。まず以前の部品を引き取らせてもらって、それを測定して同じものを作り、そこからどう改良するかをデータ上で何度も繰り返しました」

 しかし3Dデータと現物が異なるのは、レース車両が「生き物」だからです。毎年の過酷なレースでフレームは歪み、他の部品も微妙に変形します。さらに、現場のメカニックがその時々の状況に応じて最善と判断した改造を施すため、設計図はもはや「絶対的な指標」にはなり得ないのです。

「既存の3Dデータをもとに、現場のメカニックや他の部材を担当しているエンジニアとも話し合いを重ね、実車との突き合わせを行うことで、3Dデータの修正を行います。そうしてでき上がった部品をさらに実車に取り付け、他の部品と干渉しないか確かめる。その繰り返しでした」

日本レーシングマネージメント株式会社の代表取締役、そして日野チームスガワラの代表でありドライバーでもある菅原 照仁氏

 チームを率いる菅原選手も、レース車両開発の難しさをこう語ります。「開発当初は、ドライバーと開発者の間に大きな"言葉の壁"がありました。たとえば、我々が言う『(腕が骨折しそうなほどの衝撃がある)キックバック』と、開発者が想定する『(高速道路の段差程度の)キックバック』では全く意味合いが違って、話が噛み合わなかった。その認識のズレを埋めるのにも、本当に長い年月がかかりました」

 「キックバック」とは、悪路からの強烈な入力によってハンドルが意図せず激しく左右に振られる現象のこと。公道では考えられないほどの暴力的な力がドライバーの腕を襲います。普通のトラックが走る高速道路では、微振動程度のキックバックしか返ってこないため、開発側からすれば「キックバックが強くて乗っていられない」という言葉の実感がわかないのは当然です。おまけにダカール・ラリーの車両というのは、実戦テストできる場所などありません。近年ようやく実戦に近いテスト環境が得られるようになりましたが、それまではほとんどぶっつけ本番だったというから、その体感を共有できるはずがないのです。

 こうした現場でしか分からない感覚や状況を、データや言葉だけで共有することの難しさ。坂牧の挑戦は、まさにこの過酷な開発の最前線でした。

ドライバーが語る真実 ― 悪路を延々と走る2週間

(写真提供:日野自動車株式会社)

「皆さん、ダカール・ラリーと言うと砂漠や砂丘のイメージがあるかもしれませんが、実際は人の頭以上に大きな石がゴロゴロしている場所を、1日500〜600kmも延々と走り続けるようなステージもあるんです。隣に座るナビゲーターに『この道、いつまで続くの?』と聞くと、『いや、ずっと』と返ってくる。何が楽しくてこんな所を走っているんだろうと思いますよ」

 菅原選手が語る、ダカール・ラリーの現実。坂牧が開発した部品は、そんな想像を絶する衝撃に、何百キロ、何千キロと耐え続けなければなりません。「洗濯機の中に入れられて走っている感じ」とは日野レンジャーのレジェンドであり菅原選手の父・菅原 義正氏がダカール・ラリーの厳しさを表現した名言ですが、決して大袈裟ではないことがわかります。パーソルクロステクノロジーでも厚木のテストコースでナビシートに同乗する機会を得ましたが、常人では10分と持たない凄まじい揺れでした。身体の力を抜くと、すぐに頭や身体を車内にがつんとぶつけてしまうほどで、常に下半身には力が入りっぱなし。振動、なんて言葉では表現できません。8,000キロの間、ずっと「衝撃」を受け続けるような環境なのです。

「このレースは一瞬のミスも許されない。たった1秒の失敗で、1年間の努力が全て終わってしまう。そのプレッシャーの中で、2週間ずっとハイパフォーマンスを維持し続ける難しさがあります」

 ゴールが近づく最終日が、最も憂鬱だと菅原選手は言います。それまで積み上げてきた全てが無に帰すかもしれない恐怖。「だからゴールを意識しない。目の前のことを一つ一つ、きっちりやっていればゴールに着く」。それが彼の哲学です。このレースでは、たった数センチのライン取りのミスが、崖からの転落という最悪の結果にもつながりかねません。車幅分しかないぬかるんだ道を、グリップを失って崖から落ちてしまうかもしれないという恐怖と戦いながら、速度制限ギリギリの135km/hで駆け抜ける。そんな極限状態が、毎日続くのです。

レース活動の意義とは ― チームの魂と、それを支える誇り

 日野自動車は、1991年に日本のトラックメーカーとして初めてダカール・ラリーに参戦。最低完走率が20.5%を記録したこともあり、「世界一過酷なラリー」と言われている。初参戦以来、連続完走を果たしている。

 1997年には、トラック部門総合では史上初となる1・2・3位を独占するという快挙を成し遂げ、世界中を驚かせた。その後も総合2位を3回獲得するなど、トラック部門のトップクラスのチームとして活躍を続けている。1996年~2002年に創設された同部門の「排気量10リットル未満クラス」でも7連覇を果たし、その後2年間は同クラスが廃止されたが、2005年大会で再び創設され優勝を果たした。2007年にもクラス優勝し、2022年に廃止されるまで2010年から2021年までクラス12連覇を果たしている。「レースで勝ちたい」という単純な想いだけではありません。日野自動車がこの挑戦を続ける理由、それは「走る実験室」としての役割、つまり「人材育成」と「未来への投資」にあります。

「極限の状況で開発に挑むことで、技術者の思考を変え、人間力を鍛える。そして、普段の業務ではできない先行技術に挑戦する場でもある。『会社としてこのレース活動は必要なんだ』というダカール・ラリーに向けての哲学が確立できたからこそ、リーマンショックやコロナ禍、その他厳しい時期も乗り越え、活動を続けてこられたんです」

 この菅原選手の言葉は、坂牧のような技術パートナーの仕事がいかに重要であるかを物語っています。彼の開発した2つの部品は日野自動車の未来を乗せて、世界一過酷な道を走り抜けるための、不可欠な一片なのです。

未来へのロードマップ ― 小さな巨人の挑戦は続く

 現在、チームはライバルに比べて排気量の小さいエンジンで戦っており、レギュレーション上、不利な状況です。しかし、これには理由があります。日野自動車が持つ大排気量エンジンは設計が最新ではなく、また自動車業界全体の「ダウンサイジング」という大きな流れもあります。

「2027年の大会に向けた新しいマシンの開発計画もすでに動き出しています」と菅原選手は力強く語ります。将来的には、1,000馬力を超えるマシンで総合優勝を狙えるチーム作りを目指している。そのためのロードマップは、すでに描かれているのです。

 坂牧は、このプロジェクトを通じて得た経験をこう振り返ります。
「自分が設計した部品が、あのダカールを走っているトラックに付いている。そう思うと、本当に誇らしい気持ちになりました」

 市販車開発とは全く違うアプローチ、現場との濃密なコミュニケーション、そして極限状態で試される自らの技術。そのすべてが、彼をエンジニアとして大きく成長させました。

「まだ開発に携わって5年ほど。今は謙虚な気持ちで学び続けるだけです。知識、技術、スキルを身につけて、またこの挑戦に関わりたい」。彼の目は、すでに未来を見据えています。

 私たちパーソルクロステクノロジーは、技術パートナーとしてこれからも日野チームスガワラの挑戦を支えていきます。一人のエンジニアの挑戦が、チームの、そして会社の未来を創る一助となる。その確信を持って、私たちは世界一過酷な道へと共に挑み続けるのです。

●日野自動車および日野チームスガワラのレース情報は下記よりご覧いただけます。
https://www.hino.co.jp/corp/dakar/

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